ふるやの森

あまり他で扱われていない事柄、個人的に書き留めておきたい内容など

【ネタバレ】「アドベンチャー・タイム 遥か遠い世界で」感想

 

はじめに

大好きなアドベンチャータイムのスピンオフシリーズ「Distant Lands」が製作されることになり、日本のカートゥーンネットワークでも「遥か遠い世界で」の題名で放送が決定した時は嬉しかった。

なんと1話45分の長編スペシャルで全4回という力のいれよう。

そんなわけで、とても期待して観たのだが、1話目でなんか変だなと感じ、2話目で完全にこれはダメだと確信。結論から言うと、残念ながら自分としては期待外れなシリーズだった。

日本語版Blu-ray発売決定記念に、どの辺がダメだったのかとか、いまさらながら感想を書いておこうと思う。

 

※以下、「遥か遠い世界で」のネタバレ全開なので注意。

第1話『宇宙のビーモ』

◆あらすじ◆

ロケットで火星に向かっていたビーモは、謎のロボットに導かれて、さまざまな異星人が居住する巨大宇宙ステーション「ドリフト」へとやってくる。

利発で勇敢なビーモは保安官を名乗り、ウサギ型の宇宙人ワイファイブを副保安官に任命して、ドリフト内の人助けに活躍する。

実はドリフトはあちこち故障したりと問題だらけであり、発明家ヒューゴがその危機を救うべく研究を続けているという。

ワイファイブは、ビーモを壊してヒューゴの研究に役立てれば両親にも認めてもらえると考えていたが、ビーモと行動を共にするうち友情と充実を感じるようになる。

そんな中、ワイファイブはヒューゴと仲間が危険な計画を持っていることを偶然知ってしまい、ドリフトを守るために行動を起こす。

 

全体的には、楽しい作品だと思う。

アクションは多く盛り込まれていて小気味良いし、美術には力が入っていて、スターウォーズブレードランナーの都市を彷彿とさせる宇宙ステーション内の風景は見ていて面白い。

しかし、最初であるこの回からし「なんかアドベンチャータイムらしくないな…」という違和感があって心からは楽しめなかった。

それというのは、主役であるビーモとワイファイブのキャラが好きじゃないせいだと思う(※この回のビーモが魅力的じゃないって意味で、本編のビーモは大好きです)。

フィンもジェイクもバブルガムもマーセリンもビーモも、アドベンチャータイムのキャラって、基本的に快活なキャラが多いと思うのだが、その点ワイファイブって、アドベンチャータイムらしくない。

浮かない顔でうじうじしていて、性格もマジメというか普通というか、見ていてあまり面白くない。自分としては魅力的に思えないキャラだった。アドベンチャータイムの主役なら、もっと楽しいキャラであって欲しいのだよな。

内気で親の顔色をうかがっていたワイファイブが、ビーモとの交流の中で自分の意思を主張できるように変わっていき、ついには機転を利かせてドリフトを破滅から救う大活躍をする…という筋書きだけを読めば感動的に思える。

ただ、ワイファイブのキャラが好きじゃないし、このあたりのドラマにいまひとつノレない。

ワイファイブの両親のキャラクター像なんていかにも「子供に冷たい親」という記号でしかないし、そんな親子の和解の描写も、じつにベタなよくある感動シーンの域を出なくて、心に響いてこなかった。

もっと言うと、ワイファイブのキャラデザもアドベンチャータイムぽくない。目が大きい日本アニメ的な顔は違和感があって、こういう異物感もワイファイブに感情移入しきれない一因だった。このキャラデザ自体はそんなにダメってわけではないけど、アドベンチャータイムのキャラとして混ぜてほしくなかった。

ビーモについて書くと、このエピソードは本編のキャラ像と一致してなくて別のキャラみたいに感じた。

まず、話の前半でビーモが変なこと言うんで面食らう。 ビーモのロケットが宇宙ステーションに突っ込んだはずみに、宇宙人たちが争って求めていた大事なパーツを破壊してしまうのだが、それに対するビーモの反応が、ヘラヘラ笑いながら「ヘンテコ赤ちゃんたち、なにも泣くことないよ。そんなのガラクタだから」。この状況でこんな失礼なこと言うキャラだったか?と軽くびっくりした。これって子供っぽい無遠慮さを表現したというより、人を怒らせる空気の読めない非常識キャラでしかないよ。

その後を見ても、ビーモが頼もしい勇敢なキャラのように活躍するのには違和感があってしょうがなかった。

ビーモって、ジェイクから「赤ん坊と一緒なんだぜ」って言われてたように、ほとんど庇護されるべき幼児として描かれてたと思う。

そうそう小さい子供ってこんな感じだよね、って思わされる子供っぽさやいじらしさが魅力で、本編ではフィンと泥棒ごっこやったり、チップスとアイスクリームのショーで大喜びしたり、そういうところが可愛くて好きだった。

正義のカウボーイの真似をしてカッコつけてた回でも、本来のビーモはジェイクが遊びに付き合ってくれなくなったら泣いちゃうような、いじらしい子供だってことがちゃんと描かれてた。

ところが、この「宇宙のビーモ」だと、どこまでもビーモは本当に押しが強い勇敢なキャラとして描かれている。

たった一人で宇宙を冒険なんてスゴイことをやってるし、宇宙ステーション外壁に穴が空いた危険な状況でも、怖がることなく穴を塞ごうとまっすぐ向かっていくし、恐ろしいジャングル探索も二つ返事で引き受けるし、「どんなに無茶苦茶だと思うことだってやってみるしかないんだ」とカッコいいことを言いのける。

「カッコつけて強そうなこと言ってるのはごっこ遊びで、実際のビーモは臆病な小さい子供だよ」って設定になってるように見えない。ここがおかしい。

この果敢に困難へと立ち向かって行くビーモと、怖がりで幼い本編のビーモが全然繋がらない。違和感ありすぎ。

しかも、「キャラが違い過ぎるのは、最終回の後でビーモも強く成長したってことなのかな…」なんて思ってたら、最後にこれがフィンとジェイクの幼少時代、つまり本編の前日譚だったことが明らかになる。

いやいや、こんなにも勇敢で自立心の高かったビーモが、なんであんな幼児キャラになるんだよ!おかしいって!!

いちおう、本編でもカウボーイごっこをしていたビーモが、勇敢にミーモウと戦う描写があったりはした。でも、それと同じってことなら「ビーモは臆病な子供だけど、勇敢なヒーローになり切ると性格もそのように変わってしまうんだ」という設定として描くべきで、役になりきってない時のビーモは幼児キャラじゃないとやっぱり変だろう。

さらに言うと、このエピソードのビーモって終始強引な行動と偉そうな発言が多くて、さっぱりかわいいと思えない。本編とキャラが一致してないからダメっていうか、魅力的に描けてないのがダメ。「強引で生意気な男の子」って性格をやたらと強調しすぎで、見ていて好きになれなかった。

繰り返すようだが、ビーモの性格って本来もっと幼くて子供っぽいはずだし、そんなビーモが人間の子どもみたいに遊んでいるところがいつも微笑ましくて可愛らしかったのだが、今回そういう遊んでる姿もほとんど描かれてないし。かろうじて、冒頭のジャガイモの歌をうたってるくだりがユーモラスで良かったくらいかな…。

まあ今回ビーモが遊んでる描写が無い理由は想像がつくところで…つまり「今回のビーモは保安官やってカッコよく活躍してるんだから、子供っぽく遊んだりするシーンなんてそぐわないでしょ?」ってことなんだろうけど、でもそれは本来的に逆っていうか、遊ぶのが大好きな幼児キャラでこそ本来のビーモであって、こうして勇敢なキャラとして描くほうがおかしくないか?と思う。

あと、この回にはビーモの過去ネタがたくさん盛り込まれていて、例えば、ビーモがリッキーって名前にこだわってるのは「迷子のビーモ」に登場した話だし、ビーモがワイファイブの足にハグするところは「近況報告」のワンシーンを思い出させる演出だ。ビーモのタルパであるフットボールも度々顔を覗かせてくる。

ただね、今回のビーモのキャラに違和感しかないので、そこで過去のセルフパロディをされたところで「ほらほら、こんな行動ってビーモっぽいでしょ?だからこれはビーモなんですよ」と、ビーモの偽物を本物だと見せかけるために演技させているみたいで、なんとも白々しく見えてしまった。ていうか、こんなに過去のビーモをリサーチしているのに、今回のキャラ設定はおかしいと思わなかったんだろうか?

そういうわけで、主役2人に対する違和感と魅力のなさが響いて、深く楽しむには至らなかった。

「この勇敢な冒険は、全部ビーモの妄想でした」ってオチだったほうが、まだ納得できたかもしれない。

第2話『固い絆』

◆あらすじ◆

周囲を砂漠に囲まれたガラス王国。
国民はガラスの体を持ち、ヒビがある者は蔑まれてしまう。
シースループリンセスが治める国だが、その側には、いけすかない3人の王室顧問がいる。

ガラス王国は、かつて溶岩から現れたドラゴンのラルボの襲撃を受けたが、
聖者マーセリンがその歌の力でドラゴンを洞窟に閉じ込めたという伝説があった。

ひたいにヒビがあるために、周囲の人間から侮辱され続けていたガラスボーイは、ラルボを封印している洞窟の溶岩でヒビが治そうとするが、傷を治すどころか中のラルボを目覚めさせてしまう。

ガラスボーイから再びガラス王国を救ってくれるよう助けを求められたマーセリンは、バブルガムと共にラルボの封印に向かう。

 

この回、好きな人には申し訳ないのだが、自分はすごく嫌い。ていうか、面白くないとかどうでもいい回はあっても、個人的なアドベンチャータイム史上、嫌いになった回はこれが初めてじゃないだろうか。

とにかく不愉快な場面がやたらと目につくばかりで、観ていて全然楽しめなかった。

ガラスボーイへの陰湿な侮辱、口を開けば嫌味しか言わない王室顧問トリオ、マーセリンとバブルガムのわざとらしいすれ違い…嫌な雰囲気とクサい演出にテンションが下がるばかりで、まるで面白いと思えないまま話が進んでいく。そうして話の半分あたりで、マーセリンが仲違いしたバブルガムに向けて歌った「キャンディ王国なんてくだらない」「目が覚めて良かった」「あんたはわがままやってらんない」という絶交ソングを聞かされる場面に至って、もう見てるのが辛いとすら思った。

なんというか、アドベンチャータイムらしいおおらかさや気楽さがすっかり無くなってしまっている。ユーモアがなくて、変にシリアスで居心地が悪い。

ガラス王国というのはヒビのある者に対する蔑視が酷い社会なのだが、ガラスボーイを周囲がバカにする様子とか本当に嫌な感じで、「(本で)読んだこと全部割れ目から漏れてるんじゃないのか」「たいした個性の持ち主だからな」と大勢であざ笑ったりする。こういうジメジメした陰湿さは悪い意味でいままでのアドベンチャータイムになかったと思う。

アドベンチャータイムって、悪意やネガティブな感情をしつこく深刻に描いたりしない作風だった。視聴者を落ち込ませるような気まずさや深刻さは避けて、つらい状況でさえも湿っぽくならない明るさがあった。それはやっぱり基本がコメディだから、リアルな人間の嫌な部分や、しんどい部分は持ち込まないようにしていたのだと思う。

シリアスに重たくなり過ぎないように、ユーモアを決して忘れないように作られていたはず。

ところが、この「固い絆」だと、人間の嫌らしい部分や悪意をシリアスにそのまま見せてくるのがいただけない。ガラスボーイが周囲から侮辱されてる様子なんて、ギャグにもなってなくて見ていて嫌な気持ちにしかならないわけで、コメディとしての見せ方になってない。なんでこうも、悪意だとか嫌なキャラをねちっこく不快に描こうとするんだろうか?

もちろんこういった不快な描写は、最終的にはハッピーエンドとなって解消されるために用意された波乱なのだが、話を面白くするどころか、この前半の気まずくギスギスした空気でかなり心が離れた。

マーセリンの歌が重要なキーになっていることや、内輪揉めを経たうえでの仲間の団結といった展開は、シーズン3の「僕の大切なもの」を思い出させるが、あっちのほうが断然面白いし、演出的にも優れてると思う。

全編通して、「なんか観ているとゲンナリしてしまう、観ていたくない」と感じてしまうのは、不快なシーンの多さばかりでなく、基本的に今回の演出が肌に合わないせいだと思う。ベタでわざとらしい表現をシリアスにやろうとするのには辟易してしまう。例えば主役であるマーセリンとバブルガムのすれ違いにしても、はりきっていたバブルガムは失敗ばかりで活躍できなくて落胆、マーセリンのほうは乱暴なやりかたが成功してドヤ顔・周りは歓声をあげてチヤホヤ…という対比がわざとらしい。胸に迫るすれ違いの悲哀を描いてるつもりなのかもしれないけど、セリフとか表情のわざとらしさが鼻について、ドラマに少しも感情が乗らない。口うるさくて憎たらしいだけのステレオタイプな悪役、やたらとカッコつけたマーセリンのアクションシーン、いかにも悲しそうな顔で「私の役割ってなに」と呟くバブルガム……すごく表現がベタで幼稚に見える。わざとらしくてクサい。

新キャラの「らしくなさ」も酷くて、王室顧問トリオは本当に目に余るしょうもなさだった。
ガラス王国には3人の王室顧問がいて、これが視聴者のヘイトをひたすら高めまくるわかりやすい憎まれ役。シースループリンセスやガラスボーイと対立するのだが、ガラスボーイを「醜い顔」「ただの間抜け」とバカにする。

ガラスボーイが連れてきたマーセリンのことも「こんなつまらないおばさんのどこがマーセリンなの」と偽物扱いするが、直後マーセリンは見事ラルボの分身たちを退治してドヤ顔、トリオはメンツが潰されてギャフン。その後もトリオは、ラルボに対処できないシースループリンセスを非難して退位を迫り、ついにはラルボと一緒にマーセリンやバブルガムたちを洞窟に閉じ込めようとするクズぶり。ところが、実はこいつらも体がヒビだらけだったのを暴かれ、最後は体がバリンと割れてしまって退場というオチがつく。

こういう「いけ好かない嫌な奴らを、因果応報で痛快にやっつける!」みたいな展開が、もう「スカっとジャパン」的な幼稚さでゲンナリあまりにも勧善懲悪っぷりがわざとらしくて白けるし、憎まれ役としての王室顧問トリオの言動でいちいち嫌な気分にさせられる。

元々のアドベンチャータイムには、こういう見ていてひどく不快になるような「敵」って登場しなかった。ザギオックやアイスキングやリカルディオやマジックマンやウーの王様にしても、どこか憎めなさや面白いところがあったはずで、心底嫌いになるようなキャラはいなかった。それに比べて、王室顧問トリオはただただ不快なだけで何の魅力も無い。よくもこんなしょうもないキャラ出してきたなと呆れるレベル。好感の持てる要素はひとかけらだって無く、ひたすらどこまでも嫌なやつとして執拗に描くという、下品で単純でつまらないキャラ描写にうんざりした。

王室顧問トリオが最後に割れて死ぬのも、全然スカっとなんてしなかったし、展開としてはやり過ぎだと思う。アドベンチャータイムって悪人やムカつく奴であっても命を奪うような展開は避けていたはず(アッシュやウーの王様だって死んだりしないよね)。嫌なキャラを最後にざまあみろとばかりに死なせるのも、アドベンチャータイムらしくない底意地の悪さで好きじゃない。

また「ガラスの体が割れてしまった者はひどく蔑視される社会」という問題の解決が都合良すぎる。
ラストのほうで、(いろいろあって)シースループリンセスの体が真っ二つに割れてしまい、王室顧問トリオからこんな醜い姿ではプリンセスにもうふさわしくないと詰め寄られる。
しかしプリンセスは体をリボンで結びつけてたちあがり、「ヒビは欠点だと教わったけど、勇敢な少年が真実を示してくれたわ」と、ラルボ封印に活躍したガラスボーイを称え、「ヒビを隠す必要なんてないのよ」と言い放つ。
すると他の国民たちもみんな体がヒビだらけだったのをカミングアウト。ヒビがバレると蔑まれるからお互いに隠しあっていたのだ。ガラスボーイは「ずっといじめててホントわるかった」と謝られる。

いや、国民の皆さん物分かりが良すぎじゃないか??
ヒビは恥ずかしいものなんだという価値観が染みついてる社会だったら、そんなすぐにカミングアウトなんてできるわけがない。強引な急展開でめでたしめでたしに着地するからズッコけた。

お姫様が「ヒビを隠す必要なんてない」とひとこと言っただけで、こんな簡単に国民のみんなが納得してくれるんだったら、とっくの昔に解決できてるもんじゃないのか?こういう不自然さやツッコミ所が、いかにも作り事くさくて白ける。前半ガラスボーイが迫害されている様子をやたらと深刻なムードで描いてたくせに、こんな説得力の無い展開でまとめるなんて、まるでマジメに描く気がないように感じる。深刻ぶったテイストでやるんなら、相応のリアリティで最後までやれ、と思う。強引な和解エンドにするくらいだったら、割れてしまったシースループリンセスのほうから「ヒビがある者を見下すこんな国なんかこっちから願い下げよ」って言って出ていくほうがまだわかる。

そもそも今回オリジナルであるガラス王国のキャラクターにまるで魅力を感じなかった。見た目も性格もイマイチ極まりない。「アドベンチャータイムの新キャラ?まあ、こんなもんでいいだろ」ってなノリでテキトーに作ったような感じ。王室顧問トリオもつまらないキャラだが、ガラスボーイもやかましかったり無思慮な行動が多かったりで全然好感は持てないし、シースループリンセスも見ていて面白いとこはないし…。

それと、今回マーセリンとママの過去が新たに描かれたのだが、なんかこれも自分としちゃ余計な付け足しだった。

ママが半分悪魔の自分を怖がり追い払ったんだと思って傷ついていたって、それじゃマーセリンは1000年ずっとママに捨てられたというわだかまりを抱えて過ごしていたってことかよ??

これまで「マーセリンはご主人さま」「かわらないもの、かわるもの」「近況報告」等で描かれてきた、マーセリンとママとの心温まる素敵な親愛にわざわざ水を差すような話は付け足してほしくなかった。

だいたい、ママが自分の衰弱していく姿や息を引き取るところを見せたくなかったからマーセリンと別れたんだとしても、我が子との今生の別れにおいて、ろくに言葉もかけず、キツイ態度で怒っちゃって、それをケアせずに送り出すなんてことある?これが最後の会話になるんだと覚悟して、目の前に心が傷ついて不安そうな娘がいるんだったら、「ママはマーセリンのことを本当に愛していて、半分悪魔であってもそれは決して変わらない」ってことをちゃんと伝えて、安心させてから、送り出すのが普通だと思う。「ママに捨てられていたと誤解していたマーセリンが、留守録メッセージに気づき、ママの真意を知って涙…」っていう"感動的な物語"にしようとして、誤解とか心の傷だとかをストーリーに無理やり作り出そうとしているようにしか見えなくてノレない。

ストーリー以外のことを言うと、キャラクターの作画も好きじゃない。ちびまる子ちゃんみたいに青ざめた顔に縦線がサーっと流れるとか、バブルガムが白目になってショックを受けるとか、日本のアニメみたいな表現は違和感があるのでやめてほしかった。

散々悪く書いてきたが、最後に良い点も挙げれば歌の流れるシーンはどれも良かった。

ひとりぼっちになった子供マーセリンが歌うシーンも、クライマックスの洞窟でマーセリンがバブルガムに向けて歌うシーンも、そこだけ観れば情緒的で良い場面だとは思う。でも全体としては違和感と白けるポイントだらけで、とても感動には浸れなかった。

第3話『ずっと一緒』

◆あらすじ◆

年老いてついに死んでしまったフィンは、死の世界で目覚める。

先に亡くなった親友のジェイクにまた会えると思って喜ぶフィンだが、ジェイクの姿は見つからない。

ジェイクは欲望から解放された者だけが行ける場所、50番目の死の世界にいるという。

死の世界は、横暴な新王が治める体制に変わっており、ガラの悪い新王の手下が目を光らせている。

フィンは死の世界を一つ一つ巡っていくが、ジェイクには会うことができない。
フィンが強い悲しみに包まれたとき、光に包まれたゲートが開いてジェイクが現れる。フィンのオーラを感じてジェイクのほうから会いに来たのだ。

ついに2人のコンビが復活、死の世界を破壊しようとする新王の計画を阻止するために立ち上がる。

 

特に面白いとは思えなかったし、泣けるとも思わなかった。

なんというか、「ミスターフォックスに会って、ティファニーに会って、新王に会って、死の世界を巡って、悲観したらジェイクに再会できて…」という用意された順番通りにただただ事務的に進んでいくみたいで、視聴してて面白いとか楽しいとか、心が動く場面が驚くほど無かった。

感想を書くために何度か見直したけど、ストーリー展開も、キャラも、ギャグも、「ここが良かったね!」と強く言えるようなものがちっとも思い浮かばない。

演出に疑問は色々あるのだが、まず感じたのは、年老いてフィンが寿命を終えた時代、遠いその後の世界を舞台にしているわりに、実際に登場するキャラたちがそうした時間の経過を感じさせず本編と大差ない様子で再登場しているのが、話に深みがなく盛り上がらない一因だと思う。

例えば、本編の最終回「冒険は続いていく」だと、物語はさらに何百年と遠い未来のウー大陸を描いていた。
そこではもちろんフィンとジェイクはずっと昔に亡くなっていて、ツリーハウスのあった場所には巨木がそびえて跡形もない。キャンディ王国にかつての住人はおらず、謎の巨人が大地を歩きまわっている。バブルガムもマーセリンもはたしてどこにいるのかわからない。ロボットのビーモは動き続けているが、フィンの名前さえ忘れかけている。かつてこの世界を生きていた人々の姿はどこにも無いが、ただ彼らの思い出を伝える品々だけがビーモによって大切に保管されている…。

このような、長い時間が経って、人も世界も変わってしまったのだという感慨や驚きが、物語を否応なくノスタルジックで心を揺さぶるものにしているのだが、対して「ずっと一緒」には、こうした時間経過の実感が薄い。

この回のフィンって精神的に老人のはずなのに少年時代と大差ない描かれ方だし、フィンがどんな人生を送ったのかが少しも語られない。でもフィンもいつまでも少年ではいられなかったはず。年をとって大人になってフィンがどう変わっていったのか、最終回の後フィンの人生にはどんなことがあったのか、せっかく未来の話なら、何十年という歳月の経過による変化がもっとあちこちに発見できたほうが面白かったと思う。

フィンに限らず、ツリートランク、ガチョウ店長、はてはトンガリピープルなどのマイナーキャラまで今回本編のキャラたちが実にたくさん出演しているが、どのキャラも本編の頃と全然変わっておらず、これじゃただ顔見せ的に登場しているだけだ。一生を終えて死を経験した人間として内面の変化とか奥行といったものが、どのキャラにも全然描かれてないのが物足りない。「これは本編から数十年後の死後の世界なんだな…」としみじみ感じさせるようなリアリティに乏しい。

今回がフィンとジェイクの死後というショッキングな内容だから、視聴者が安心して見られるように、わざと本編との差異を感じさせないようにしたのかもしれないが、見ていて平坦で驚きに欠けるストーリーだった。

中盤に描かれるフィンとジェイクの再会にしても、全然良いと思わない。やたら壮大な音楽ともにジェイクが登場したり、フィンが涙を流してジェイクの名前を何度も呼びながら抱きしめたり、過剰に情緒的でクドい。大泣きするフィンの姿をしつこく見せられて、感動するどころか興ざめするばかりだった。

アドベンチャータイムって、エモーショナルな場面をいかにも感動的にしつこく描いたりなんてしないものだった。フィンが右腕を失ったときも、島を離れミネルバと別れるときも、草の子ファーンが消えてしまうときも、キャラクターが号泣したりするような大袈裟に感情的なふるまいは描かれなかったし、わかりやすく感動的なBGMを鳴らしたりすることもなく、さらりと静謐に描かれていた。そうしたつつましく情緒過多でない見せ方がアドベンチャータイムの本当に優れた部分だと思っていたので、このシーンの紋切型でクドい感動演出にはがっかりした。アドベンチャータイムらしくない。

見せ方も好みじゃないが、ストーリー上もフィンがジェイクと待ちに待った再会を果たしたのだという、その重みが感じられなかった。

フィンにとってこの再会はどういったものか。親友ジェイクを失うという最も悲しい現実を経験し、ジェイクが傍にいない日々を過ごしていたフィンが、死後の世界で再びジェイクに会うことができていかに嬉しかったか…そこを視聴者に追体験させるような描写がないので、長い年月を経た待望の再会という感覚がイマイチ生じない。はっきり言って「朝起きたらいつのまにかジェイクがいなくなっていて、数時間後にまた会えた」ぐらいのことに見えてしまう。再会の喜びを表現するなら、その反対、不在の悲しみをしっかり描いておかないと印象的にならないのじゃないか。例えば、ジェイクがいなくなって悲しんでる生前のフィンの様子なりが示されていたら、再会の感動がいや増しただろう。

それでも最初、悪夢からスタートする不穏な導入に加えて、じいさんになったフィンの姿が出てきたときは、これは今までにない展開かもしれないと期待していた。でも死の世界では自由な姿でいられるってことで、すぐ、いつもの少年フィンに戻っちゃったのは肩透かしだった。でも自分からしたら、この「老人になったフィン」をもっと主題にしたほうがよっぽど興味深いドラマになったと思う。

そうはならなかったのは、たぶん製作者に「老人なんて主役にふさわしくない、やっぱり主人公は若い少年じゃないと」って固定観念みたいなものがあるんだろうけど、そういうチャレンジの無さがつまんない。せっかく登場させた老人フィンを結局少年に戻しちゃって、なんか人が年老いていくことにたいして否定的なようにすら感じた。

老人から少年の姿に戻るのだって、こんなあっさり序盤で戻っちゃうよりも、例えば「老年姿のフィンをじっくり描いた後で、最後の最後にありし日の少年の姿に帰る」とか、クライマックスまでとっておいたほうが見せ方として効果的だったと思う。

オリジナルキャラが相変わらず魅力に乏しい。

今回、悪役として「死の新王」という蛇男が登場するのだが、これが実につまらないキャラ。暴君としてやかましく叫んでるようなシーンばっかで全然キャラとして好きになれないし、行動を見ていて笑えるとこもない。翻訳者のセンスもあるだろうが、言葉使いも粗暴で不快だった。

こういうカッコつけた粗暴なギャングを良しとして出してくるあたりが、アドベンチャータイムらしさが感じられない点。ただ横暴なやつが横暴なことをしてるだけで、全然魅力的じゃない。アドベンチャータイムの悪役なら、もっと面白いキャラであってほしい。

同じような横暴チンピラのリーダーでも、ファームワールドのディスティニー様のほうが、見た目もおかしいし威張ってる様子だって笑えるように描かれてて、はるかに魅力的なキャラだった。

この回まで見てて思ったのは、「なにかと戦う話にしなきゃダメなのか?」ということだった。
これまでの3話とも、舞台は違えど、結局は大きい敵や悪の計画に立ち向かう筋書きばっかり。
アドベンチャータイムの作風を顧みれば、例えばアイスキングたちがバス旅行に行くとか、みんなで映画を作るとか、ジェイクがレンガになって生活するとか、色んな話があったはずなのに、このシリーズでは何かしら戦う話に一辺倒。

これって、基本ギャグアニメなのに映画になると悪い敵と戦う話ばかりになるドラえもんと似たような感じだ。

もちろん、悪い奴と戦う話ばかりであっても内容が面白いならそりゃ問題ないのだが、このエピソードでは「死んだ人と再会できる死後の世界」というすごく感動的で良いドラマが作れる題材があるのに、そこにはたいして注目せず、支配者との対立に話を持ってっちゃうのがもったいないと思えた。

死に別れた人とまた会える!
それってすごい奇跡なんだから、新王の話なんてわざわざ挟まずに、人生を終えたフィンが大切な人たちと再会したらどんなことを感じ、何を話すのか、そこを時間かけて丁寧に見せて欲しかった。

このエピソードではフィンが養父母のジョシュアとマーガレットに再会できるのだが、そのくだりは「会えてうれしいぞ」「僕もだよ。夢みたいだー!」って言って抱き合うという、紋切型の感動シーンで超あっさり済まされてしまう。

いや、ジョシュアとマーガレットと再会できただけでもすごいことじゃん!話したいことや聞きたいことがいっぱいあるでしょ!と思うのだが、こういう故人との再会から生まれるドラマをまるで掘り下げてないのがとても不満だ。子供の頃に死別した養父母との何十年かぶりの再会でしょ?本来、このジョシュアたちとの再会をしっかり描くだけでも話が一本作れるくらいだろうに、そこを深堀りしないで、新王の陰謀がどうたらってストーリーに向かってしまうのが理解できない。他にもたとえば、ビリーやミネルバと再会するとか、面白そうな展開にどんどん広げられるはずなのに、実にもったいない。

「強大な敵に立ち向かったりヒーローが多くの人を助けるようなスペクタクルじゃないと、45分の長編スペシャルにはふさわしくない」というのが今回の製作者の考えなのかもしれないが、私はアドベンチャータイムの優れたところって毎回が戦う話ばかりじゃなくて、色んなジャンルの話がある懐の広さだと思っていたから、このシリーズの話の方向性の狭さ、「戦う話ばっかり」なのは実に残念だった。本編の133話「近況報告」なんて、ビーモとマーセリンの2人が会話するだけのささやかな話だけどとても感動的な物語だったし、敵と戦ったり悪を懲らしめる話にしなくたって、ストーリーというのは他にも作りようがあるはず。だから、フィンが死の世界で再会した人々との交流を丹念に描いて、それで45分の長編を作ればよかったのにと思う。このシリーズっていちいち戦う話ばかりなのが、安易で感心できない。

「固い絆」に続いて、強引な展開に白けた部分は今回もあった。

ジェイクの昔馴染み・ティファニーが死の新王の手下として登場してくる。ティファニーは、ジョシュアとマーガレット夫妻を捕まえたりと悪事を働くが、途中で新王を裏切ってフィンたちに協力することを決める。ティファニーが他の手下に追い詰められて絶体絶命の危機に陥った時、ジョシュアがティファニーを助け出す。なんと夫妻は、ティファニーが正しい道へと進めるよう、我が子として育て直すことにしたのだ。新しい両親から、息子として扱われて感涙するティファニー

…いや、夫妻がティファニーの命を助けるのはまだわからなくもないが、そんないきなり息子扱いしようとか思うか??

ティファニーと夫妻の関係の進展、親和を示すシーンって ティファニーが緊縛した夫妻にケーキを食えと命令し、マーガレットが「あなたは変な子だけど。ケーキを作るのは上手ね」って言った時くらいしかない。義理の親子の関係を結ぶ前フリとしては不十分だと思う。

これって「ティファニーを急に息子扱いするとかおかしいだろ」「息子と呼ばれたことにやたら感銘を受けるティファニーのリアクション変だろ」っていうツッコミどころそのものがギャグなのかとも考えたのだが、そうだとしても展開の強引さにただ困惑しただけで、別に笑えなかった。

作画についても不満を言うと、やたらとフィンが変顔をし過ぎ。普段と違う顔がいちいち出てくると違和感が強くて、視聴のノイズになった。元々アドベンチャータイムって初期はフィンの変顔シーンが多かったのだが、回が進むにつれ変顔をやらなくなっていった経緯があったので、今回わざわざ変顔連発を復活させる意味がよくわからなかった。

この回って、本当に、これといって良いところが思いつかない。

それでも最後、フィンとジェイクが次の世界に生まれ変わってもまた同じように無二の親友であり続けることを誓って旅立っていくのは良かったとは思うのだが、それまでのストーリー展開にすっかり白けてしまって感動はしなかった。まあ前回と同じような感想。

最終回の後日談という設定も、死後の世界という舞台も、全然上手く活かせてないと思う。

第4話『魔法使いの学校』

◆あらすじ◆

ガムボルドの策略で幼く生まれ変わったペパーミントバトラーは、魔術を学び直すため魔法使いの学校へ入学することになった。

魔法使いの町ではペパーミントバトラーの名は悪名高く恐れられており、正体を隠して「ペプ」と名乗る。

前のバトラーのように立派な魔法使いになりたいと張り切るペプだが、魔法が上手に使えなくて理想と実力のギャップに苦しむことに。

不出来な生徒の寮に振り分けられたペブは、アブラカダニエルの姪・カデブラとなりゆきで一緒に過ごすようになる。

その頃、魔法使いの町では謎の失踪事件が発生し、ペプの同級生スペイダーもいなくなってしまった。

犯人に疑われたペプは、疑いを晴らすためにカデブラと共に事件を調査する。

 

このシリーズにおいては、一番楽しめたエピソードだった。

ビーモ、バブリン、フィンジェイクと来て、ペパーミントバトラーというのは意外な人選に思える。実際、他のエピソードよりも注目度は低いみたいだが、観てみると「固い絆」や「ずっと一緒」よりもよほど良かった。

魔法学校を舞台にした学園ドラマ+ミステリーというわけで、見る前から想像していたとおりハリーポッターみたいな話。アドベンチャータイムでハリーポッターをやるという趣向は好みだ。

ペプの七転八倒が続く前半は退屈だったのだが、事件の真相へと迫っていく後半から展開が面白くなる。
「嫌なヤツ」だったペプが、本当に自分のことを親身に気にかけてくれるカデブラへと歩み寄り、ついに2人がお互いを友達として認め合うラストにはさわやかな感動がある。
ミステリ部分も、事件の裏で暗躍する悪の魔法使いの集団、大昔に死んだ巨大な魔物の墓所といった退廃的なイメージは良かった。

ただ、やっぱりこのシリーズって、どうも好きじゃない。
話がシリアス寄りであり、気楽でナンセンスなユーモアが流れてないように感じられて、そこに今までのアドベンチャータイムのようには好きになれない断絶があるように思う。ひとことで言うと「ゆるくない」。

例えば登場人物を見ても、ペプ、カデブラ、スぺイダー、ブレイン、ドクター・カレドニウスなどなど、色んなキャラがいてそれぞれ外見には凝っているが、パーソナリティがなんか常識的で普通。セリフや行動を見ていて、思わず笑ってしまうような面白さがなくて、いまいちキャラに親しみが持てない。
こういうオリジナルキャラのある種のつまらなさ、愛着の持てなさって、このシリーズに共通する特徴。

さらに、今回ペプにとってカデブラしか理解者がいないという孤独な状況がテーマになっていて、ペプを脅かすようないけ好かないキャラばかり出てくる。しょっぱなの出来事からして、ペプがペテン師から本を盗まれるというひどい話だし。

特にスぺイダー、ブレイン、ラリーの優等生グループが、ペプとカデブラをバカにしたり意地悪したりするのだが、そういう様子が見てて気分が悪い。意地悪されて傷つくペプの姿も湿っぽくて苦手だ。

今までのアドベンチャータイムだって例えば「リッチな坊や」にこういう意地悪な子供グループって出てきたりしたが、やっぱり視聴者が嫌な気分にならないようサラっと描くに留めている。このシリーズは見せ方にそういう軽さがなくて、変に現実的で不快なのが肌に合わない。雰囲気がギスギスしてて、居心地が悪い。

キャラがたくさん死ぬのも、殺伐としていて違和感がある展開だった。
今回の事件の黒幕は、教師たちを中心とした闇の魔法使いの一団であり、ペプの体を使って太古の魔物「ココンテッピ」を復活させようとするが、ココンテッピと融合したペプの暴走によって皆殺しにされてしまう。

いかにもな怪物ではなくて、個性を持つキャラがこうも死にまくるのって、これまで無かったことじゃないだろうか。死人が多いのって、ある意味ハリーポッターっぽいが。

それでもこの闇の魔法使いたちは悪人に属する存在だから死ぬのはまだわかるが、どうも引っ掛かるのは生徒のスペイダーも死んでしまうことだった。

スペイダーは典型的なスカした嫌なキャラなのだが、話の途中で闇の魔法使いたちによって誘拐され、ペプより前にココンテッピとの融合を試みて失敗、命を落としてしまう。

さらに、事件が解決したラストでは、ペプが学校から表彰されてそのお祝いムード一色、命を落としたスペイダーのことは「色々ありました」で済まされ、何も言及されない酷い扱い。

ムカつくスペイダーは消えて、一転ペプのほうが人気者になる。こうして二人の立場が最後に逆転する様子を見せられて、じゃあスカっとするかといえば、そんな風には感じられなかった。

マジメに考えたら、一部の教師たちが邪悪な事件を起こして、生徒が1人死んでたという大事件が発生してるのに、こんな何事もなかったかのようなお祝いムードなんてありえないし、平然とニコニコしている生徒たちの姿には、薄ら寒いものすら感じる。それまでシリアスなトーンで話を進めてきたのに、ここに来てあっけらかんとしたリアリティのない展開は合ってないように思う。

それにスペイダーって嫌なキャラではあっても、死ぬのに値するほどの悪事をしてたわけではないわけで、なにより子供が死ぬのって、後味が悪い。殺伐とし過ぎる。

ありがちだが「スペイダーはペプとカデブラに間一髪で助けられ、ペプのことを見直して仲良くなる」みたいな展開じゃダメだったのか?と思う。わざわざ死なせるのって、どうにも冷淡なものを感じる。

これって「悪人共や嫌な奴は死ねばええねん」っていう考えとしか思えず、アドベンチャータイムらしくなくて強い違和感だった。王室顧問トリオの件でも指摘したが、アドベンチャータイムって、嫌な奴や悪い奴であっても安易に殺すような展開はなるべく避けていた。それは子供も観る番組として守るべき姿勢だったのだろうし、今回あえてシリアス路線で行くんならば、登場人物の死についてちゃんと重みを持って描いてほしかった。

このシリーズって、王室顧問トリオにしてもスペイダーにしても、嫌な奴は嫌なままで、愛着や魅力を感じられないまま終わっていくところが好きじゃない。

登場人物の死を避けずに描いていたり、子供向けではないシリアスで対象年齢の高い作風を目指したってことなのかもしれないが、こんな「嫌なヤツはひたすら嫌なヤツのまま」「ムカつく人間は死んじまえ」みたいな冷たい人間観が、以前のアドベンチャータイムよりも高度で深いなんて全く思わない。

あと、この話ってペパーミントバトラーの扱いもちょっとどうかと思った。

ペプの体に思念体として宿り続けていたペパーミントバトラーは、ペプを利用して自らを再現しようとするが、最終的に「あんたは僕の未来じゃない。過去だ」とペプから決別を言い渡されて消滅してしまうことになる。ペパーミントバトラーってぬいぐるみのグッズが作られたり結構人気キャラだと思うのだが、こうしてすっかり悪い奴として扱われて、挙句消え去ってしまうって、こんな展開ペパーミントバトラーのファンは嬉しいかね?

それと「ずっと一緒」で描かれる未来の世界だと、普通に今まで通りのペパーミントバトラーが登場してるのも謎だった。これって、成長したペプは結局ペパーミントバトラーになったってこと?ペプはペパーミントバトラーへの憧れは否定したんじゃないの?それとも外見こそお馴染みのペパーミントバトラーだけど中身は善良なペプってこと?色々疑問が残った。

さまざま不満は書いたが、最初に書いたようにこのシリーズの中では、一番良かったと思っている。

見ていて心動かされる感動的なシーンもあったし、それなりには面白かったが、じゃあそれが自分が期待しているアドベンチャータイムだったかというと、どうも違うものだったように思う。舞台もキャラも独自性が強いし、もう別のアニメを見ている感覚だった。

その中にあって、ラリーって生徒が魔法で石に変えられちゃったのにクラスメートが誰一人ツッコまず以前のように接しているというギャグは、かつてのアドベンチャータイムを思い出させるシュールさで面白かった。

正直、ペプとカデブラの交感よりも、ミステリー部分よりも、この石ギャグがこの回で一番魅力を感じる要素だったかもしれない。やっぱり自分はシュールなコメディとしてのアドベンチャータイムが好きだし、こういうのをもっと見たいんだなと思う。

ちなみに、冒頭で生徒たちがペパーミントバトラーについていい加減なウワサを話しているシーンがあるが、ラリーが「あとガムの戦争も起こしたんだよね、そしてグロブに滅ぼされた」って言ってるのは、グロブじゃなくてゴルブの間違い(原語ではちゃんと「I heard he started the great gum wars and was killed by Golb」って言ってるらしいので)。

まとめ

4話全部観たが、自分の思っていたアドベンチャータイムの良さが感じられなくて、全体としてはがっかりする出来だった。

もちろん今までのアドベンチャータイムだって不出来なエピソードはあった。力を入れて製作されたミニシリーズの「Stakes」や「Elemets」だって退屈に感じたり、不満に思うところはある。でも、この「遥か遠い世界で」に感じる失望というのは、単純につまらないというのとは訳が違って、もう創作の理念や指針といったベースの部分から違ってしまっているように感じた。

重要な違いというのは、このシリーズはジャンルがコメディじゃなくてシリアスになっていることだと思う。リアリティ無視ですべてを笑いに回収してしまうナンセンスコメディではなく、筋が通ったマジメなドラマを作ろうとしている。

その結果として、バカバカしいカオスな面白さは失われて発想は常識的でつまらなくなり、軽さや気楽さは後退して、変にシリアスで居心地が悪い。ほとんど普通のアニメになってしまった。

自分にとってアドベンチャータイムは、世のアニメーション作品の中で一番好きと言えるくらい思い入れの強い作品なのだが、そうまでファンになったのは、シンプルで親しみやすい絵柄が象徴するような、作品全体を包んでいる牧歌的でユーモラスな雰囲気に理由があることを強く実感した。このシリーズはそういう空気感がなくて好みじゃない。

なんでこんなに今までのアドベンチャータイムとの乖離を感じるのかと想像すると、スタッフが変わってしまったことが原因じゃないだろうか。クレジットを見るとストーリー関係のスタッフは、これが初参加となる人物が多く、生みの親のPendleton Wardや、ストーリーボード製作の指導的地位だったKent Osborneはもう関わっていないようだ。

実際、この「遥か遠い世界で」よりも、Kent Osborneほかアドベンチャータイムの元スタッフが参加している「サマーキャンプアイランド」のほうが、自分の考えているアドベンチャータイムらしさをよっぽど持ちあわせていると思う。絵のスタイルはそんなに似ていないのだが、サマーキャンプアイランドの牧歌的なムードとクセはあっても嫌味のないキャラたち、奇想天外な想像力の楽しさはアドベンチャータイムをとても彷彿とさせる。シチュエーションコメディとしてのアドベンチャータイムの良さをしっかり継承していると思う。正統なスピンオフよりも別作品のほうがアドベンチャータイムらしさを感じるというのは皮肉だけども。

最終回を迎えたとはいえ、フィオナとケイクの新シリーズも発表されているし、アドベンチャータイムの世界はまだまだ続いていくらしい。コンテンツが続いていくこと自体は嬉しいが、今回のスタッフと作風で続けるんだったら、ノットフォーミーだなあ。